躁鬱大学 その3自分用メモ

坂口恭平さんのnote「躁鬱大学」の自分用のまとめです。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である」はこちらから。

坂口恭平さんの文章は本当に読みやすいので、実際に読むのをオススメします。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態であるのまとめ

・躁鬱人は集団が心地よく構成されているかが気になる
・躁鬱人は喜劇役者で、常にリアクションを求める人生が向いている
・黙りこんでしまう場所からは離れる、かつ、気をつける



躁鬱人は集団の平和に目を向ける

「人の顔色を見て気を使うといった平和指向型なので、他者との敵対関係には長くは耐えられません」

神田橋語録

躁鬱人は異常と言えるほど、周りを伺う。
すなわち、まずは自分自身よりも、集団という塊に目が向く。

たとえば、誰か困ってはいないか、誰かイライラしていたりしないか。


で、集団に目を向けて、ご機嫌なら問題はなくって、うまくいってないなら、持ち前の能天気さ、ひょうきんさなどを駆使してどうにも和ませようと試みる。

つまり、躁鬱人たちが確認しようとしているのは、自分の周囲で、元気じゃない人はいないかということです。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である


ようするに、その集団が心地よく構成されているかどうかが気になる、と。


1人でいる時も人のことを考えている

「自分がない」「空っぽ」は悪いことじゃなくて、ただの躁鬱人の特徴なんですね。

どういうことかというと、一人でいるときに充実し、じんわりと幸せを感じる、みたいなのは別のタイプの人間向けで、躁鬱人には向いてない、と。

たとえば、部屋をきれいに、庭で野菜を育てる、今日は泣きたい気分だから、悲しい映画を観る、などは向いてないわけです。



躁鬱人は一人でいる時間を充実させることは向いてないなら、何が向いてるのか?ということになります。

で、どういうことが向いてるかというと、一人でいる時も人のことを頭に浮かべながら、その人たちのことを喜ばせると思うと、どんなことでもできる、と。

たとえば、一人で映画を観るのは苦手だけど、映画を観たあとに、映画評を書いて、友達に送ったり、発表したりするのは好きなわけで。


つまり、リアクションのない行動は一切できない。
逆に、どんなに細かい行為でも人に見せて、リアクションしてもらうのが大切だ、と。

リアクションを栄養と考えるいい感じ。

ようするに、常に人のリアクションを求める人生が向いてるわけです。



躁鬱病を治す方法

「特に自分らしさや自分の長所が失われたときが要注意です」

鬱状態は常に一人で、それは毒。
鬱状態の時に、一人でいて一人で完結する時間を過ごしていたら、ただ辛いだけ。

「躁鬱病」ではなく、「躁鬱人の特徴」というコトバに切り替える。

なぜ躁鬱病は繰り返し再発するのかというと、これが普通だと思い込んでいる人間らしさを追い求めてしまうからです。そうじゃなくて、面白すぎる躁鬱人の特徴をよく掴んで、言葉にして、それを暗唱できるように頭に入れて、それでも躁鬱人はコロコロ脳みそが動いてますから、すぐ忘れますので、また思い出し、忘れないように暗唱して、常に人に向けて、行動できるようになると、再発はしません、症状とも思いません。そんなもんだ、と波を理解できるようになります。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である


鬱状態の過ごし方は、第8章で。



躁鬱人の人間関係との接し方

「平和指向型なので、他者との敵対関係には長くは耐えられません」

神田橋語録

顔色を伺うのも気を使うのも、躁鬱人にとっては平和のため。
自分に意見がないとかじゃなくて、とにかく平和を重んじる。


そのために空気を読むことに長けてるから、世の中の流れは全く無視して、どんどん空気を読めばいい。



気をつけること

空気が悪い、と感じたら、かつその空気が自分の「おどけ」や「ひょうきんさ」などで変わる余地がないほど停滞していると感じたら、すぐその場を去ることです。

躁鬱人は徹底的に柔らかいから、空気が悪い現場でも、変形しちゃう。

そうなると、「窮屈」になっちゃう。



人間関係における躁鬱人の特徴2つ

「躁鬱人は常に自分が話の中心になっていないと落ち着かない。」

これを特徴だとわかってないと、たとえば、自分は話に加わってない、孤独だ、人間関係がうまくいかないんだ、って発展しちゃう。

躁鬱人は、躁か鬱のどちらか二極で考えてしまう癖がある。
黙っていてもいいのに、黙っていると、鬱の時の自分をつい思い出し、さらに黙ってしまい、喋っていると躁が喚起されてついつい一人舞台に踊り出してしまう。



黙り込んでしまったときの対処法

黙りこんでしまうのは「その場に自分が必要ない、と感じてるあんまり面白い現場」じゃないから。

  • 人に面白くないと口にしないこと
  • 自分が出る幕ではないところでは静かにしていよう、ではなく、いない方がいい(黙りは窮屈であり、怒りにつながる)


躁鬱人は怒りを持って訴えるみたいな行為が得意じゃないし、怒りを発散すればするほど深い鬱に陥ってしまう。

なんで怒ろうとするかというと、「話の中心」になろうとしてるから。
だから上手に「正義」を見つけ出して、発奮行動をする。

ただ元々は話の中心になって、人を喜ばせるのが目的。
でも、窮屈な現場で、その行動を行うと、正義を担保に、怒りを爆発させてしまうから、躁鬱人は気をつけたほうがいい。



躁鬱人は喜劇役者

批判や怒りなど、悪い政治を正すのは非躁鬱人に任せればいい。

躁鬱人は喜劇役者です。あらゆる批判は常に笑いの中に紛れ込ませて、まずは人を喜ばせるのです。しかも、躁鬱人たちが感じる、どうにかしないといけないという政治的態度の陰には、常に「話の中心にいたい」と言う欲望があるのを忘れないようにしましょう。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である


躁鬱人はとにかく人を喜ばせよう。

腹を抱えて笑って泣いて、何に怒っていたのか忘れてしまうくらいに、人々を笑いの渦に巻き込みましょう。きっとそれだって生きる力になるはずです。いや、僕はそれこそが生きる力だと確信しています。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である



黙りこむ、には注意

話の中心になるために、正義を縦に怒りを発奮させる前に、ある兆しがある。
それが「その場にいて黙りこんでしまう」こと。

これを解決するには、

「話の中心になれないところでは、自分の出る幕はないと諦め、適当な話をしてその場をやりすぎすこともできないので、さっとその場を立ち去る」

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である


居心地が悪いと感じたら「満足したので帰ります!」っていう。

「躁鬱人は、大人数での会合は全く必要ない」

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である


2、3人の会合、もしくは1対1で会うのが一番楽。
複数人の飲み会とかなら、「午後9時に寝る人」と知らせる。

皆さんも、ああ、なんか居心地悪いなあ、面白くないなあ、と思った瞬間にまずは立ち上がってみるところから練習してみてください。そして、それがどれくらい心地がよかったかを確認してみてください。躁鬱人は体感すれば、必ず心地がいい方に体が動いていきます。ただ知らないだけなんです。ちゃんと経験をしていけば、自分なりの操縦法を見つけていくんです。

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である



まとめ

・躁鬱人は集団が心地よく構成されているかが気になる
・躁鬱人は喜劇役者で、常にリアクションを求める人生が向いている
・黙りこんでしまう場所からは離れる、かつ、気をつける

躁鬱大学 その3 自発的『トゥルーマン・ショー』こそ躁鬱人が到達すべき最高の状態である」はこちらから。

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