今回は、教育についての話をシェアします。
教育がどのように性格に影響するか?という話です。
どう学ぶか?が性格に影響する
社会学の教育に対する面白い見方で「隠れたカリキュラム」っていうのがあるんですね。
すなわち、「何を基準に採点するか?」で、生徒が「なにが大切か?」を学ぶようになるというんです。
たとえば、英単語のテストをするとしましょうか。
このとき、「スペルを間違えたら減点」という風にします。
そうすると、生徒は「間違いをするのはいけないことだ」と認識していくようになるわけです。
また、周りの生徒の点数が自分の成績に関係するとしましょうか。
周りが100点、自分が50点で、悪い成績がつくみたいな感じです。
「他人に勝たなくてはいけない」「他人は仲間ではなくて、競争相手だ」と考えるようになっていくわけです。
つまり、「カリキュラム」や「教育課程」と呼ばれるモノでは、「コミュニケーションがとれる英語力を養う」のようなことが目的とされてるわけです。
ですが、性格の面において、「どうやって採点するか?」を通して「なにが大切と認識するか?」にも影響を与えてるわけです。
学び方で気になることが変わる
今説明したのは、「間違いに目を向ける教育方法」だったわけですが、逆に「表現に目を向ける教育方法」だと、「自己主張をすることが重要だ」と認識するようになってくわけです。
たとえば、アメリカの教育では「プレゼン」をする機会や「エッセイ」を書くことがたくさんあります。
つまり、「プレゼン」や「エッセイ」では、自分を表現しないと成績がもらえないわけです。
細部のきめ細かさも重要ですが、「全体を通して何が言いたいのか?」や「どうやって表現をするか?」に目を向けているので、多少の間違いより、「自己表現が大切だ」と考えるようになるわけです。
日本の電車が時間通りにくる例
で、教育方法に関して、社会心理学者のエーリッヒ フロムはでこのように説明しています。
・教育方法は社会的欲求を個人的性質に変形させる手段と考えることができる。
・教育はいろいろに定義できるが、社会過程という角度からみると、(中略)教育の社会的機能は、個人にこれから社会で果すはずになっている役割を、果しうるような素質をあたえることである。すなわち、個人の性格を社会的性格に近づけ、かれの願望をかれの社会的役割に必要であるものと一致するように形成することである。
『自由からの逃走 新版』
ようするに、エーリッヒ フロムがいいたいのは、
・学校の教育は、「社会が求めていること」を「個性の一部」に変える1つの方法
・教育を通して、「社会が求めてること」と「自分が求めていること」が同じになるようにすること
ということです。
たとえば、日本は時間に厳しいですよね。
これも先ほどの「隠れたカリキュラム」の影響で説明ができるんですね。
というのも、遅刻や授業の開始時間って成績に響きますよね。
つまり、「遅れることはいけないことだ」「時間に合わせて行動できるのはいいことだ」と学ぶわけです。
その結果、電車やバスが時刻表通りの時間にくるようになりますし、会社も出社時間よりも少し前に到着するようになるわけです。
逆にいうと、フロムのいうように、社会を回す上で必要とされるスキルが「時間通りに動くこと」であるとすれば、教育を通して「時間通りに動くことを学んだ」ともいえます。
過程を楽しめる環境をつくれば続きやすい
ここまで、教育方法で、「なにが大切か?」を学んでいく、ということを説明しました。
で、この視点って子育てにも役立ちますし、自分がやりたいと思ってることをするのにも役立つんですよね。
たとえば、子どもがいたとして、勉強をするようになってほしい場合、結果じゃなくて過程を褒めるといいっていうのも同じ原理で。
というのも、勉強する過程があったから結果が生まれるわけなので、「結果」ばかり褒めると、うまくいかない時に褒められないから嫌になってしまう、と。
逆に、自分が何かを始めたいと思ってるなら、結果じゃなくて、その活動自体が楽しくなるような工夫をするとよかったり。
自分のやりたいことをしている時が楽しい、という環境さえつくれれば、目標を達成できなくて挫折、を避けやすくなるわけです。
重要なのは、自分がしたいと思うことをしてること、と気づければ、続く。
続けば自然ともっとうまくなりたい!と思って上達していくものだったりするんですよね。
まとめ
今回は、「教育を通して学ぶこと」についてシェアしました。
どこに目をむけているのか?に気づけると、動きやすくなるかもです。