(英語学習)どれだけ理解できるかではなく、理解したいと思うかに目を向けるといい話

さからわない英語学習



今回は、「どれだけ理解できるかではなく、理解したいと思うかに目を向けるといい話」をシェアしようと思います。



理解したいかに目を向ける

以前に『言語学者から学ぶ、言葉ができるようになるとは』『大人が赤ちゃんのように言語を習得するとはどういうことか』で「理解できるインプット」が重要になる、という話をしました。

この時、「どこまで理解できる教材を選ぶべきなのか?」と疑問に思うかもしれません。

すなわち、「90%、もしくはほとんど理解できる教材を選んで、残りの10%、知らない部分を理解する勉強」をすべきなのか、もしくは、「半分くらいしか理解できない教材で、たくさんの知らないを理解する勉強」をすべきなのか。



で、結論からいうと、わたしの観点では、「理解できる教材か、ではなく、理解したいと思う教材か」に目を向けた方がいいんですね。

そもそも、この「理解における勉強のどっちがいいか」の科学的な実験はほとんど行われてないから、正直誰にもわからないこと、だからです。

そして、よくある失敗するパターンとして、「自分にぴったりの教材を探すことに時間をかけすぎる」があります。

確かに自分にあった教材を選ぶことは大切ですが、「英語に触れる時間より、自分にあった教材を選ぶ時間が上回っては、意味がないと。



そうならないために、以前に話した「母語ではやらないことはやらないと決める」のように決めておくという手があったり。



言語を習得するとは認識できるようになること

じゃあ、なぜ理解したいと思うものに目を向けるといいか、というと、言語を習得するとは、「以前に認識できなかったことが認識できるようになること」だからです。


これを理解するのに『ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]』に書いてあったいい例があります。

この本の著者は、子どもの頃、クリスマスプレゼントに植物の図鑑をもらったんですね。

で、その図鑑の最初に載っていた木がとても変わっていたんです。

そしてこう思ったのです。
「こんな変な木は一度も見たことがない。見たら気づくに決まってる」と。


ですが、実際外に出てみると近所の庭にその木があったと(笑)

しかも、一軒だけではなく、その人の家がある一画をみると80パーセントの家の庭にあったとか。

その人は最近引っ越してきたわけでもなく、13年間住んでいたのにもかかわらず、一度も気づかなかったわけです。

一度名前を呼ぶことができれば、あなたはそれを意識し、それを支配し、それを所有し、それをコントロールできるようになるのです。

ノンデザイナーズ・デザインブック [第4版]



言語を習得するメカニズム

じゃあ、なんで名前を呼ぶことができれば、それをコントロールできるようになるかというと、脳の仕組みにあるからなんですね。

脳は一度認識してしまうと、その特定の情報、またはそれに似た情報を見つけようとしてしまうという仕組みがあります。



で、「理解できるインプット」の考え方もこれに近いもので、「以前に認識できなかったものを認識し、名前を知ること」を繰り返すことが「言語を習得する方法」と言えます。

たとえば、「これは本です」と言われて全く理解できなかったとしましょうか。

この時、「理解できるインプット」のように、相手が「本」を持って、「これは本です」と言って、「ほん」という音が「本」だと認識し、理解したとします。

で、一度認識し、理解したものは、学校の場面や本屋さんの場面だけでなく、「本」という単語を聞いただけでも、「本」の話をしてるとわかるわけです。



山口周さんの『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書)』という本では、専門家に関して以下のように説明をしています。

専門家としての能力を高めていくというプロセスは、パターン認識力を高めていくということに他なりません。パターンというのは「過去にあったアレ」と同じだと見抜くということです。そうすることによって、毎回ゼロから答えを作っていくというような非効率的なことはやらずに、過去において有効だった解を転用できるようになるわけです。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~ (光文社新書)




ネイティブとは言語の専門家と言えます。

いろんなパターンを認識してきたゆえに、言葉が理解できるようになり、言葉を使うことができます。

それゆえに、自分の考えを言葉を使って表現をしたり、関東の人が関西弁をしゃべったときに「それは関西弁とちゃうわ」のように判断することができるわけです。



好きが強い理由

ここまで、言語を習得する、ということは「以前に認識できなかったことが認識できるようになること」だと説明しました。

で、はじめの「どこまでできる教材を選ぶか」という話に戻しましょうか。


教材を選ぶときに、「理解できるか」だけで教材を選んでしまうと、興味がないからそもそも知りたいと思わない、のようなことが起きます。

たとえある程度理解できても、車に興味がないのに車に関する記事や動画を見てもつまらないですよね。

それは「90%理解できる状態」だったとしても、「残りの10%を理解したい」と思わせないし、「50%も認識できる要素」があっても、「もっと知りたい」と思わせてくれないと。



関心があるものを選ぶことの重要性はいろんな言語学者の中で言われてることですが、結局、認識できないものを認識したいと思わせてくれるもの、というのが重要な気がします。

そして、このことに関しては、多くの人にとっても実感があることだと思います。


興味のないものに意識を向けることはできませんし、意識が向かなければ認識することができませんからね。

好きこそモノの上手なれ、である由縁は、ここにあるのかもしれません。



なので、理解したいと思うことを中心に、言語に触れていくこと、の方が言語を習得しやすいように思います。

もちろん、たれ流しにしていてはいつまでも認識できないままなので、理解しやすくするための工夫はありますが、それはまた今度話しますね。



まとめ

今回は、言語を習得するとは、以前に認識できなかったことができるようになること、という説明をしました。


理解することに関して言えるのは、はっきりと「理解した」「理解してない」で分けることができないんですね。

ある文章を聞いたとして、「あれ?この単語この前どっかで聞いたからこういう意味かな?」「これにそっくりな文の形前にも見たぞ」みたいに、以前持っていた知識とつながることがあって。

それを全て意識してやってるというよりかは、無意識に脳がパターンを認識できるようにしてくれたりして。

なので、文の全てが理解できるか、というよりかは「メッセージが理解できたか?」に目を向けてインプットをして、認識できる工夫を取り込むとよかったり。


今日はここまでです〜

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