生きるしなやかさはべき論を捨てることで手に入りやすくなる話(「情熱の薔薇」の例)

生きやすくなるかも
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今回は、「生きるしなやかさはべき論を捨てることで手に入りやすくなる話」をシェアします。

しなやかさは環境の変化に適応できる能力

しなやかに生きる、ことができると、日常生活でイライラしたり、人生の詰みやすさが減るんですね。

というのも、しなやかに生きる、というのは「その場その場に柔軟に対応できる能力」と言い換えることができます。



たとえば、「鼻をかもうとした」としましょうか。

このとき、ティッシュがないことに気づきます。

で、「鼻はティッシュでかまないといけない」と考えていた場合、「おわた…」となるわけです。

一方、「しなやかさ」があったとしたら、「ティッシュがないなら、トイレットペーパーでいいか」と考えたりできるわけです。

つまり、「しなやかさ」「柔軟さ」っていうのは、「環境の変化に適応する能力」ともいえます。

人と接したときに衝突を減らしたり、新しい場所に早く馴染んだりっていうのが、この「しなやかさ」が関係してるわけです。


そして、この「しなやかさ」は「今まで学んできたべき論」を捨てれるほど手に入れやすくなる、というのが今回のテーマになります。

なぜ人はべき論をいうのか?


そもそもべき論っていうのは、「こうするべき」の前に、「〇〇することはいいことだ」と思い込んでいることから生まれてくるんですね。

たとえば、「女性は家事をこなすべき」「男は強くなるべき」というべき論があったとしましょうか。


で、なんでこんなべき論があるかというと、「男性は女性を守る役割だ。そして、強ければ女性からモテる。だから、女性を守れるように強くなるべき。」みないな考え方があるわけです。

「女性は家事をこなすべき」であれば、「男性は働いて、女性は家で家事をこなすもの。そして、女性が家事をこなすことができれば、男性にモテる可能性が上がるから」という考えが背景にあるわけです。

(一応ですが、一般論であって、わたしがそう思ってるわけではないですからね(笑))


すなわち、「男性は強いことはいいことだ」「家事ができることはいいことだ」という考えがあると。
ゆえに、「男は強くなるべき」「女性は家事をこなすべき」という「べき論」ができあがるわけです。


もう1つ例を出すとすれば、「大企業に就職すべき」というべき論があったとしましょうか。

このとき「大企業は倒産しづらいし、給料も高い。安定した人生を歩むことができる」という考え方がると。

その結果、「大企業に就職すべき」というべき論が完成するわけですね。


べき論は過去の自分を否定されたくないから

ここまで、べき論は「〇〇することはいいことだ」という考え方からくる、と説明しました。

じゃあ、なぜ人がべき論をいうかというと、「過去の自分を否定されたくない」という自己防衛からくるんですね。


先ほどのべき論も、すべて「大企業に就職することはいいことだ」「男は強くなるのはいいことだ」「女性が家事ができるのはいいことだ」っていう考え方があるわけです。

しかし、これらの事が「全部嘘でした〜。実は全部逆で〜す」といわれたら、その事実を受け入れるはつらいですよね。



たとえば、自分が親から「20歳までに丸い石を1万個集めると願いが叶う」と教わって育ったとします。

毎日、少しでも時間があると、丸い石を探しに川に行って必死に丸い石を集めます。友達と遊ぶ時間も、ゲームも我慢をしました。

そして、なんとか20歳までに丸い石を1万個集めることができました。

でも、ある日、親から「丸い石を集めると願いが叶うってのは嘘だったんだよ〜。ドッキリでした〜。別に石を集めたところでなんの意味もありません〜」といわれたとします。



このとき、もし「丸い石を1万個集めても意味なんてない」と認めてしまえば、「今までの自分の苦労はなんだったんだ」と考えてしまいますよね。

毎日、自分の時間をすべて費やしたのに。


でも、この事実をねじ曲げるには、「他人にも同じことを信じさせる」という方法があります。

つまり、周りの人に「20歳までに丸い石を1万個集めるべき」と教えるんです。


こうすれば、「今までの自分の努力は間違ってなかった。だって、みんな同じことしてるんだもん。自分だけが間違ってるわけじゃない。」と安心感を抱くことができます。



と、まあ、極端な例ではありましたが、ようするに、他人にべき論を強要するときは、基本的に「過去の自分を守ろうとしている」と。



べき論を捨てれば捨てるほど、しなやかに生きれる

で、はじめに説明したように、この「しなやかさ」は「今まで学んできたべき論」を捨てれるほど手に入れやすくなるんですね。

つまり、べき論を捨てれば捨てるほど身軽になると。


「鼻をかむ」例でいえば、「ティッシュでかむべき」というべき論にとらわれていれば、「ティッシュがなくなったとき」に、「どうしよう。行き止まりだ。」と柔軟に対応できないわけです。

すなわち、しなやかに生きれてない状態です。

一方、「ティッシュで鼻をかむべき」というべき論を捨てることができるなら、「何かティッシュに変わるものがないかな」と考えることができます。

そうすると、「トイレットペーパー」「キッチンペーパー」「ハンカチ」みたいに、別のものを選ぶことができて、その場を回避することができるわけです。


この「べき論を捨てる」感覚に気づけると、人生にしなやかさが手に入って、その場その場に柔軟に対応できるようになれます。

The Blue Heartsの『情熱の薔薇』の歌詞の1部に、

見てきた物や聞いた事

今まで覚えた全部

でたらめだったら面白い

そんな気持ち分かるでしょう

-『情熱の薔薇』by The Blue Hearts

というのがあるんですが、これはまさしく「自分が今まで学んできた常識や普通」「べき論」っていうのが、全部嘘だったら面白いね、といってるわけです。


実際、そういう意味でこの歌詞を書いたのかはわかりませんが、「なんだ、今まで学んだのは嘘だったのか。ははは。ま、いっか。」と考えることができたなら、「じゃあ、今からどうしよっかな」と考えることができるわけです。

まとめ

今回は、「べき論」は自己防衛のためにある、という話をしました。

人それぞれ得意なことや苦手なことなどバラバラなので、社会的なルールをのぞいて、「絶対こうしなきゃいけない」っていうのはないんですよね。


なので、「今までいわれてきたべき論」を手放して、しなやかさを手に入れると生きやすくなるかも。

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