自分の頭で考えるとは「区別すること」という話

つくりやすくなる



今回は「自分の頭で考える」とは「区別できるようになること」という話をシェアします。



自分の頭で考えるには「わかってる」必要がある

自分の頭で考える、には「わかってる」必要があるんですね。

たとえば、「ポテトチップスを見たことも食べたこともない人」は、ポテトチップスの魅力を話すのはできないじゃないですか。


「ポテトチップスに対するあなたの思いを伝えてください」と言われても、「ポテトチップスってなんですか?」って感じで。


すなわち、そもそも「ポテトチップスっ」が何かわかってないと魅力とか、良さを話すことができない、と。

もちろん想像で話すことはできますが、それはただの嘘でしかないわけで。


で、これが「この件についてどう思いますか?」っていう質問文に変わったときに、いわゆる「意見がない」状態になるのは、そもそも「この件」がなんなのかよくわかってない、から答えられない、という状態なんですね。

つまり、自分の頭で考えるには、「わかってる」必要があるわけです。



わかるとは「区別できること」

じゃあ、「わかる」ってどういうことかというと、「区別できること」なんですね。


脳科学者である山鳥 重さんの著書『「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)』の中で、以下のように説明されています。

知覚のもっとも重要な働きは対象を区別することです。 視覚を例に考えてみましょう。われわれが自分のまわりにある色々な対象を見ることが出来るのは、それらを色々なもの、すなわちそれぞれ違うものとして区別出来るからです。色が少し違っても、明るさが少し違っても、形が少し違っても、その違いに気づくことが出来るからです。

「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学 (ちくま新書)


ようするに、「わかる」とか「わかんない」というのは「区別できること」をもとにしているわけです。


たとえば、「赤信号」で止まれるのは、赤色、青色、黄色を区別できるから止まれるわけで。

もし信号が「言葉」で書かれたとして、全てロシア語とか韓国語で書かれたとしたら、その言語を勉強したことがない人は判断のしようがないですよね。


そもそもどこかの国の言葉なのか、ただの線、何かの記号なのか、なんてこともわからないかもしれません。


つまり、「わかる」には、赤はこの色だ、青はこの色だ、っていう区別ができて、はじめて「わかった」と言えるようになるわけです。



区別するには「比較」が役立つ

ここまで、自分の頭で考えるには、「わかってる」必要がある。そして、「区別できること」が「わかる」ことにつながる、という説明をしました。

で、「区別」するには、「比較」が役立つんですね。


ちきりんさんの著書『自分のアタマで考えよう』という「様々な考え方の方法論」が書かれている本の中で、

考えるためにもっと役立つ分析手法はなにか?」と問われたら、ちきりんは迷わず「比較すること」と答えるでしょう。

自分のアタマで考えよう


と説明がされてるんですが、これもやはり、「比較」っていうのは、「区別」をしやすくしてくれるものだからですね。


たとえば、色の違いをわかろうとするときに、「赤色は、ポストの色とかりんごの色なんだよ」のように「赤色が何か」をずっと説明されるより、「これが赤色で、これが青色だよ」のように、いろんな色を同時に見せてもらった方が、圧倒的に早く理解できますよね。


つまり、「比較」っていうのは「区別すること」、「わかること」を助けるツールであるわけです。



比較ができると違う選択肢に気づける

で、比較をしてわかるようになっていけば、違う選択肢を見つけることができるようになるんですね。

これは、山口周さんの著書『武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50』でも以下のように説明されてます。

目の前の慣れ親しんだ現実から「課題」を汲み取るためには、「常識を相対化する」ことが不可欠だからです。例えば、日本の風俗習慣・生活文化しか知らない人が、日本の風俗習慣について「なぜこんなことをやっているんだろう」と考えるのは大変難しいことですが、外国の風俗習慣・生活文化を知っている人であれば、それは容易なことでしょう。

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50



ようするに、「日本で生まれ育った人」からすれば、「お辞儀」に疑問を抱きづらいですが、海外で生活をしてた人からすると、「なんでお辞儀するんだ?」みたいに「当たり前に対して気づける」わけです。


で、こういう当たり前に気づければ、「自分に合った新しい選択肢」を選びやすくなるんですね。

たとえば、新卒就活なんていい例ですが、「面接で就活スーツを着る」っていうのがあるじゃないですか。


あれって、別にスーツを着る必要性ってないですよね。夏場なんて暑いだけだし。
でも「スーツ着用」に対して、ほとんどの人が疑問に抱かない、当たり前に思ってると。

じゃあ、なんで疑問に抱かないかというと、それは「スーツを着れば信用してもらえるものだ」という思い込みがあるからで。


ようするに、面接では「人柄」をみてるのではなくて、「この人は信用できるか」の競い合いになってるわけです。


だって、「スーツ」じゃなくても、ビジネスカジュアルとかあるように、好きな格好をしてもらった方が、その人らしさがわかるわけで。

こういう「当たり前」に気づくことができるには、「日本の就活」と「海外の就活」を比較したりすることで、区別して、わかるようになるわけです。


つまり、「当たり前」に気づくことができると、「あ、自分はこの分野で競い合いたくないな」と「自分が生きる場所」を選びやすくなるわけです。

「当たり前」に気づくことができれば、「場所」を選べるようになる。当たり前に気づくには、「比較」が有効なツールになる、というわけです。



まとめ

今回は、自分で考えるというのは、区別できることが役に立つ、そして、区別してわかるようになると新しい選択肢を見つけやすくなる、という話をシェアしました。


「わかる」ようになると、生き方に関しても、「あ、今までのやり方は自分に合ってなかっただけなんだ。自分に合ったやり方でいこう」と割り切りやすくなるかもしれません。

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