【超個人的】「自分にはなにもない」と思った時に考えたいこと

生きやすくなるかも
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自分にはなにもない、と感じてしまう時に考えたいことのシェアです。

(勝手に)人と比べている

自分にはなにもない、と無力感に囚われたときは、
まず「他人を基準に自分をみている」ことに気づけると少し楽になります。

これはアドラー心理学でも

  • (中略)アドラーは「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで断言しているのですから。
  • アドラーはいいます。「悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない」のだと。

-『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

と解説されています。

ようするに、「なんで不安に感じたり、嫌だなぁって感じるかっていうと、全部人間関係のせいだからなんだよね。だって、もし世界に、この地球上に、自分1人しかいなければ、悩みなんて生まれないよね〜」と。

つまりこういうことです。

なにもない(と感じる)のは、「自分は(他人と比べて)なにもない(と思い込んでいる)」からである。

だから、もし世界に自分1人だったら、「自分はなにもない」という状況が生まれないわけです。

・歌手と比べて、歌が上手くない。
・イラストレーターと比べて、絵が下手。
・学年主席と比べて、勉強ができない。

つまり、「他人と比べる」ことが、悩みを”生みやすく”しているわけですね。

なにもなくても大丈夫、という証明をしちゃってる

2つ目に考えるといい感じなのは、

「『自分にはなにもない』”から、なんなのか?”」ということです。

仮に、「自分にはなにもない」としましょう。

「わたしにはなにもない!生きている価値なんてない!」

そうだとして、何か問題があるのでしょうか?

というか、むしろ「”なにもないあなた”」が生きていることで、

「なにもないのに生きていていいんだよ。大丈夫なんだよ。」という証明をしちゃってるんですよ。

証明しようとして証明してるんじゃなくて、

もう「しちゃってる」んですよ。

証明完了なわけですよ。

すげーじゃん。

自分が「なにもないこと」で苦しんでいるにもかかわらず、
”自分で”「なにもなくても大丈夫」だということを証明している。

超すげーじゃん。自分で自分を救ってんじゃん。

なにもないこと、に気づけてるやないかい

それでも、「自分にはなにもない」と思うかもしれません。

「なにもない自分が嫌だ!」

と。

でも、冷静になってくださいね。

「なにもない」ということに『気づけている自分』に。

いや、これって超すげーことですよ。
あの哲学者ソクラテスと同レベですよ。

だって、ソクラテスも

「自分には知らないことがたくさんあるよ〜。

でも、それでいいんだ。自分が知らないことを知ってるから〜」

って言ってたわけですから。(筆者脳内で誇張されているため事実とは異なる)

ともかく、「知らないことを知ってる」ことは素晴らしいわけです。

「自分はなんでも知ってるんだぜ!てやんでい!」

みたいにおごり高ぶることなく、

「(他人に比べて)自分はなんもないやないかい。人生クソゲーやないかい。」

と人生を客観視できてるだけでもすげーじゃん、ってことです。

でも、でも、でも、自分にはなにもないと思うんです

と、まぁ、「なにもない」と言っている人でも、

少なからず「なにもない」ことを知っている、というスキルがあるわけですよ。

ポジティブ思考かよ、って思われるかもなんですが、

「自分にはなにもない」というのが、仮に事実だったとしても、
「なにもないってことを知っている」というのも、事実となります。

「でもさ。なにもないのつらいんだけど。」

そう思うかもですね。

  • 「なにもない」とか言いつつ、「コトバめちゃ喋れる」し、
  • めちゃくちゃネガティヴだけど「論理的な思考」はあるし、
  • できる人とばっかだけど「他人と自分を比べてみる能力」はあって、
お前、結局ハイスペじゃん。嘘乙。

って思うわけですが、

それでも、天変地異が起きて、月と太陽が逆転して、無重力になっちゃって、世の中のすべての事実が嘘になってしまって、「自分はなにもない」としましょう。

そうすると、悲しいっすよね。

へこみますよね。

もう深海に沈めて引っ張ってきた空き缶くらいボコボコですよ。
豆腐メンタル通りこして、豆乳メンタルですわ、と。(謎)

「なにもない自分」は自分の一部

でも、「なにもない」っていう自分も自分の一部じゃね?

たしかに、周りがみんな憧れるような、

運動神経だったり、
頭脳だったり、
容姿を持ってないかもだけど、

「なにもない」のも自分じゃん。
「できない」のも自分じゃん。

全部できちゃったら、もうそれ「自分」じゃなくね?
なんか、もう「え?これ誰やねん。」ってなっちゃわね?

たしかに、「できちゃえる」なら、できちゃいたいけどさ、
「できない」の含めて自分なわけだから、
それがあなたらしさ、自分らしさなわけだから、
「あぁ、自分にはこういう1面もあるのね。」って思えたら少しは楽になる気がするのよ。

だって、

ある日突然、階段でぶつかった女の子と男の子が入れ替わっちゃった!

なんて、まぁあり得ないわけよ。

ぶつかったら

「イッテェな!前見て歩けよ!」

って言われて、

「いや、お前も前見て歩けよ!」

って心の中で思いつつ、

「あ、すみません」

って一方的にこっちが悪かったです、的なテンションで謝まるしかないわけよ。

ポンコツなのも自分だよね。それでよくない?

そんでまぁ、

  • いきなり人の名前書いたら、その人を殺せるノートを手に入れちゃって、試験中にポテチを食う人のような頭脳を手に入れたり、
  • 溺れそうになって、いきなり瞬間移動できる能力手に入れちゃえるような運動神経手に入れたり

そんなことはなく、自分は自分として生きてくわけですよ。

死んでも自分。腐っても自分。磨いても自分なわけですよ。
寝ても覚めても自分は自分なわけですよ。

ヘンテコな体とポンコツの頭かもしれないけど、自分は自分なわけですよ。

どれだけ自分のことをダメ人間だ!って言おうとも、

どれだけ自分のことをなにもない人間だ!って言おうとも、

「この自分」は「この自分」でしかないわけですよ。

じゃあ、「この自分」で納得しちゃった方がよくない?楽じゃない?

ずっと

「ああなりたいなぁ。こうなりたいなぁ。」

って思ってたら、
寝ても覚めても自分は自分で、

「マジ自分クソじゃん!腹たつ!」

って劣等感生まれちゃうけど、

「ま、これも自分の一部だよね。」

って、嫌な感情を持っている自分との一緒にやってこうって思えたら、

「ま、いっか」

って思えるかもじゃん?

だって、その

  • ダメだとか、
  • できないとか、
  • カッコよくないとか、
  • 可愛くないとか、

そういうのって、「全部他人と比べて」決めてる”自分の考え”なわけじゃん?

これは妥協しようとかじゃなくて、

「キレイ」とか「カッコいい」とか、

「かしこい」とか「〇〇ができる」とかって、

ぜ〜んぶ、自分が”勝手に”大事だと思ってることなわけよ。

誰も「そうならなきゃダメ」とは言ってないわけよ。

そう言ってる人もいるかもだけど、それは「その人が勝手にそう言ってるだけ」なわけ。

それは、自分が”勝手に”

  • 「〇〇ができないとダメ」
  • 「賢くないとダメ」
  • 「容姿がよくないとダメ」

って言ってるのと同じだし、

”勝手に”「自分はなにもない人間だ」って言ってるのと同じなわけ。

でも、どれだけ自分がなにもなかったとしても、

「なにもなくても大丈夫なんだよ」っていう証明をしてしまっている。

なにかをしてもいいし、なにもしなくても、

周りにとっても、もっといえば人類にとっても、「いろんな生き方があっていい」っていうポジティヴな影響を与えちゃってるわけですよ。

周りにポジティヴな影響を与えてるんだとすれば、

「なにもない自分に対する嫌な気持ち」っていうのはどこにあるかというと、

「自分の中で勝手に起きてること」。

「自分の中で勝手に起きてること」なんだったとしたら、「自分の中で勝手に起きちゃうことなんだよなぁ。これも自分の一部なんやな」って考えれると少し楽にならへん?

そしたら、

「自分にはなんにもありまへん。いと悲し。」

なんてならずに、

「『自分にはなんにもなくて、悲しい』って思ってる自分がいるんやなぁ。
しゃーないな。ほんまに。」

って思えたら、「自分を受け入れる」っていう現実的な一歩を踏み出すことが可能になるじゃん?

まとめ

今回は、「自分にはなにもないと思ったときに考えたいこと」のシェアをしました。

なにもなくてもいいんだよ、大丈夫なんだよ、

とすでに「いろんな生き方があっていいこと」を証明しちゃってるハイスペの自分を受け入れてあげてください。

そして、なにもないことを嫌に思ってしまう自分も、自分の一部。

そう考えてしまうのは、自分らしさの一部。

そう考えれると少しは楽になるかもですね。

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