向いてるは得意ではなく、考え方を表現できる行動かどうかの話

生きやすくなるかも
めっちゃ走るヒト

 

今回は、「向いてること」は、得意か、ではなく、「考え方を表現できる行動か」で判断するといい話です。

 

 

得意から選ぶと向いてない可能性が高い

 

自分に向いてることを考えるとき、
「得意なこと」から選ぶことがオススメされますよね。

 

たとえば、

  • 文章を書くのが得意ならライター
  • プログラミングが得意ならプログラマー
  • 分析が得意ならコンサルタントやアナリスト

みたいな感じです。

 

 

ここで気をつけなければならないのが、

「得意だ」と思う理由が「(他人と比べて)得意」

だと向いてないことの可能性があるんですね。

 

足が速いからといって、走るのが好きだとは限らない

 

例えば、

「足が速い」人がいるとします。

この場合、

必ずしも「足が速い」から、走るのが向いている

とはならないんですね。

 

 

というのも、「足が速い」は、「(他の人と比べて)足が速い」という話であって、
自分の考え方や感情を無視した結論になってるんですね。

 

 

どれだけ足が速かったとしても、

「別に走るの好きじゃないんだけど」

って人だったら、

練習したり、レースで勝ったとしても、

  • 「充実感」
  • 「楽しさ」

っていうのは少ないわけです。

 

走りたくない…

 

 

 

逆に、

「風をきるような感覚がたまらない!」

って人だったら、「向いてる」といえるでしょう。

 

めっちゃ走るヒト

 

 

つまり、「走ること」に対する「好き」とか「嫌い」みたいな感情や意志を抜きにしてしまうと、”本当に”「向いているか」はわからないわけです。

 

 

ようするに、「向いている」かを判断するには、「自分がどう感じるか」や「自分はこうしたい」といった要素が必要なんですね。

そこを、「(他人と比べて)足が速い」という「目に見える結果」だけで決めてしまうと、
実際は向いてなかった、ということがありえるわけです。

 

結果だけをみるのは、ヒトっぽさから離れやすい

 

ここまでをまとめると、

「向いている」というのは、

感情や意志などの「目に見えないモノ」から出発して判断するといい

ということです。

 

 

で、なぜ「結果」から出発すると、「向いてない」可能性が高いかというと、

「人間らしさ」から遠のいてしまうからなんですね。

 

音楽好き

 

「ヒトっぽさ」って、

  • 「嬉しい」
  • 「悲しい」

みたいな感情や、

 

  • 「こういう風に考えるのが好き」
  • 「この食べ物が好き」

とか、好き嫌いなどの「意志」が含まれますよね。

 

こういう趣味思考みたいな「目に見えないモノ」を全く抜きにした場合、

すごく「人間っぽくなくなる」と。

 

もっというと、すごく「機械」っぽくなる。

 

 

パンを食べてるからって、パンが好きじゃない

 

そして、先ほど説明したように、

「(他人と比べて)得意」という「結果」、

すなわち、自分が見える形における「できる」を基準に選ぶのは、

「ヒトっぽさ」の逆を向かう感じなんですよね。

 

 

毎日「パン食べてる」から、「パン好き」みたいな。

本当は

「パンが安いから食べてるだけ」

「漬物が大好き」

みたいなこともありえるわけです。

 

 

と、「向いてるか」は、本当は感情とか意志とかいろんな要素があって、判断できるモノなのに、

「見えるものだけ見て決めてしまう」と実は自分に”向いてない”ことがありえると。

 

達成するのが楽しいヒトと結果に左右されやすいヒト

 

たしかに、「慣れてる」、「やったらできちゃうこと」は、

「(物事がたんたんと進む)(作業が進むことにおいて)”向いてる”といえます。

 

で、その

  • 「どんどん物事が進む感じ」
  • 「どんどん仕事や作業をさばいていける感覚」

が好きな人もいるわけです。

 

言い換えると、「達成することで得られる充実感」みたいな感じですね。
このタイプの人は、「他人と比べて得意なこと」や「やり慣れていること」を基準に選ぶのが向いてる人なんです。

 

 

しかし、達成することの充実感は、「結果」によって感情とか考え方が左右されやすいんですね。

そして、「結果」に気分がすごく左右される人の場合、

「結果」を重視するのではなく、「これやってて楽しいな」っていう「過程」に注目できるものの方が向いてる可能性があるんですね。

 

つまり、その人自身の「充実感」を「どこで感じるか」という「自分の考え方のクセ」を見れると、いい感じかな、と。

 

「考え方を表現できること行動」に意識が向くと充実感が出る

で、「達成することにおける充実感」だけでなく、「やりたいことをやってる充実感」が得れるなら、達成する必要がなくなってくる。

すなわち、「結果」ではなく「自分が気に入ってる動きや行動」から楽しさが得られるわけです。

 

 

言い換えるなら、「考え方を表現できること行動」に意識が向いてると、結果を気にせずに、自然と充実感が得られると。

 

自分の考えを表現しているとやりがいを感じやすい

 

やりがいって「自分の考えを表現してるか」が関係しているな、と思うんですね。

 

社会哲学者であるカール・マルクスは、資本主義にともなう人間関係の変化で

「ブルジョアジーは、家族を包んでいた愛情というヴェールを剥ぎ取り、家族の絆を単なる金銭的なつながりにおとしてめた」

-『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史

といっています。

 

 

ここでは、家族の愛情を例にしていますが、

ようするに、近代のヒトの関係は、愛、つながり、キズナといったモノがなくなり、「モノとモノの関係」が強くなっています。

 

 

感情や意志を無視して、

「この人はこれが得意だからこれをやらせる」

っていうのは、まるで機械と接しているような感じですよね。

 

モノっぽさ

 

 

「機械」のように扱われたり、行動してると、

  • 「あれ?これって自分じゃなくてもよくない?」
  • 「自分って生きてる意味なくない?」

って感覚に囚われてしまいがちだったり。

 

 

そうすると、いわゆる「やりがいがない」状況に立ってしまっていると。

 

なので、本当に「向いていること」に気づきたい時は、一度、「(他人と比べて)得意か」を抜きにして、「自分の感情や考えが表現できてるか」から出発して考えるのも良さそうです。

 

まとめ

 

今回は、「向いてること」は、

・得意なこととは限らない
・「自分の感情や考えが表現できてるか?」から出発して考えるのがよさそう

という話をしました。

 

「目に見える結果」から何かを得ようとするのではなく、
「この行動をすると自分の思いを表現できる」というアーティスト的な視点
で選択してみるっていう方法。

 

 

「表現する」という視点にで選ぶと、
自分にとって腑に落ちる感覚が得られるかもしれません。

 

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