英語は重要だという思い込みから離れると英語を話すのが楽になる話

さからわない英語学習
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前回は、

英語の基準として、「他人」を基準にしてしまうことで、

「誰に合わせて英語を話せばいいんだ?これでいいのかな…?なにが正しいかわからない!」となり、「英語が嫌いになる」という話をしました。

 

記事:『英語を嫌いになるのは、ウケを狙いにいくのに似ている話

 

 

今回は、そもそもなぜ「他人」を基準に考えるようになるのか?の話をしようと思います。
ここを理解すると、英語に対して嫌な感情は減るはずです。

 

英語は「相手」がいるモノ、という思い込みが原因

 

「他人」を基準に英語を考えてしまう理由を理解するために想像して欲しいのですが、
「英語を話す」ときって、どんな状況ですか?

 

 

  • 会話
  • メール
  • ガイド

など、さまざまな状況があると思いますが、
いろんな状況に共通しているのが、『相手がいる』ことです。

 

 

そう!この「英語は相手がいて話すもの」っていう思い込みが、
「他人を基準に英語を考える」根本の原因になるんです!

 

上手くなってから、と考えると話せなくなる

 

英語学習になると、

  • 「英語が上手になったら、留学にいく」
  • 「英語が上手になったら、海外の人とたくさん話す」

と、考えてしまいがちです。

 

 

わたしもずっと、こんな風に考えていました。

 

 

この”英語が上手になったら”っていうのが、そもそも「他人が基準」なんですね。

 

 

「上手」ってなにをもっていうのかは人によって異なります。

「上手」の逆である、「ヘタ」も人によって異なります。

 

 

これは前回の「お笑い」の話と同じですね。

 

「しゃべくり漫才が好き・嫌い」
「シュールなコントが好き・嫌い」

と同じように、好き・嫌いの感覚が違うように、「上手・ヘタ」の感覚も人によって違うわけです。

 

コミュニケーションの前提は「伝わらない」である

 

「でも、なんでもかんでも、むちゃくちゃに話すのはダメでしょ」

っていう人もいると思います。

 

これは、以前『話が通じると思って話すから人生無理ゲーになる話』をしましたが、
そもそも「コミュニケーション」は「伝わらないもの」なんですね。

 

 

むしろ、「伝わることなんてありえない」わけです。

 

すなわち、「どれだけ丁寧に、必死に、一生懸命、とても上手なコトバで話したとしても、自分の言いたいことは伝わらない」わけです。

 

 

したがって、「コミュニケーションは伝わるもの」と思い込んでいると、
「英語は伝えるために話すものだから、相手に失礼のないように上手な英語を話すべきだ」
となってしまいます。

 

 

ですが、本来は「コミュニケーションは伝わらないもの」であり、
「英語は重要ではない」わけです。

 

「え?英語が重要じゃないってどゆこと?んなバカな!」
と思うかもしれません。

 

 

コトバが大事なんじゃなくて、「伝えたいこと」が大事

 

コトバをちゃんと話さないと仕事にならない。
仕事ができなかったら、お金を稼ぐことができない。
だから、コトバは重要だ!

と。

 

 

「英語は重要じゃない」といいましたが、

これは別に「英語」に限った話ではありません。

 

「日本語」でも、何語であっても同じ話です。

 

 

誤解しないでほしいのが、

ここでいう「英語が重要じゃない」というのは、「英語を上手に話す必要なんてないんだよ」「好きに話せばいいんだよ」ということです。

もう少し詳しく説明しますね。

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「伝わること」も「上達」も重要じゃない

 

まぁ、よくある議論で「英語は伝えることが大切」と「でも、上達する気持ちが大切」というのがあります。

 

で、実は、「伝えることが大切」と「上達することの重要性」の議論は、議論として成立してないんですね。

 

まずは、「上達することの重要性」からみてみましょう。

 

「上達」って曖昧

 

  • 「上達する気持ち」
  • 「下手くそだと相手に失礼だ」

とかいろんな論があるんですが、そもそも

「どこまで上達する必要があるのか」
「失礼じゃない言い方とは何か」

が曖昧なんですね。

 

これは日本語に置き換えて話してもいいんですが、
「”いい日本語”じゃないと話してはいけない」のでしょうか?

 

 

そもそも「”いい日本語”ってなんなんでしょうか?」

  • 「アナウンサーのような日本語」
  • 「政治家の人が話すような日本語」
  • 「国語教師のような日本語」

などありますが、

たとえば「アナウンサー」といってもいろんなテレビ局があるし、いろんなアナウンサーがいますよね。

 

「ビジネス英語」と呼ばれるものがあるように、「会社員のような日本語」が目指すべき場所なのでしょうか?

 

しかし、「会社員」といっても、

外資系の会社から、地方の小さな会社までいろいろあります。

 

「失礼いたします。」

「とんでもございません。」

のように言わなければいけない場所もあれば、

言わなくていい場所もあります。

 

会社のによって求められる「日本語」は違いますし、

それこそ「話す相手」によって「求められる日本語」は違います。

 

  • ”日本語ができる”
  • ”いい日本語”

といっても「人によって違う」というのが結論になってしまうんです。

 

下手くそな日本語も、人によって違う

 

逆に、「下手くそな日本語」とはなんでしょうか?
よく「英語を上手になる」という議論で抜け落ちているのは、「下手な英語とは何か?」なんです。

 

 

日本語で置き換えて考えてみると、「下手」とは、そもそもなんなのか?

  • 「敬語が使えない」
  • 「文法が無茶苦茶なこと」
  • 「発音が下手なこと」

 

もしかしたら「無愛想なこと」が入ってくるかもしれません。

 

 

これも「下手さ」は「人によって異なる」わけです。

 

  • 「別に文法わかんなんくても、相手がなに言いたいかわかればいいわ」
  • 「多少発音悪くても、言い直してもらえればいいから構わない」

という人から、

  • 「いやいや、正しい日本語を話せないやつは許せない」
  • 「言葉遣いより、態度が大事だわ」

までさまざまです。

 

 

ようするに、先ほどの「誰かを笑わせてください」のように、
「みんなにいいと思われる英語を話す」だと、
「みんなって誰?」ってなってしまうわけです。

 

 

で、根底にある問題としては、「英語はちゃんと話さなくてはいけない」という「自分の勝手な思い込み」になります。

 

 

他人が基準だとわけがわからなくなる

 

ここまでをまとめると、

「ちゃんと話す」というのが成立するには、

  • 「”他人からみて”いいと思われる英語」
  • 「”他人からみて”いいと思われる日本語」

である。

 

しかし、「他人の価値観はそれぞれ」ゆえに、

「”みんなからみて”いいと思われる英語」

「”みんなからみて”いいと思われる日本語」

を話そうとしても、

「敬語が大事だ!」という人から、「敬語なんてどうでもいいよ。わかりやすさとスピードが大事だ」という人までいるので、「”みんなからいい”と思われる」のは無理である。

 

そして、その逆もしかり。

「ちゃんと話さない」ようにする、すなわち

「”他人からみて”最低の英語」

「”他人からみて”最低の日本語」

を話そうとしても、「最低」が成立するには、「他人の価値観がが必要」である。

 

しかし、「他人の価値観はそれぞれ」ゆえに、

「最低か?って聞かれたら、まぁ、敬語話してないくらいだし、むしろわかりやすい表現だったから別に最低じゃない」という人から、

「いやいやいや、こんな子どもが話すような単語ばかりで話すなんて問題外」という人までいるので、

「”みんなからみて”最低の英語を話す」ことは無理、なわけですね。

 

 

じゃあ、どうすれば「英語を好きになれる」のか?
「英語嫌いから解放される」のか?

 

 

伝わるかなんてどうでもいい

 

次に、英語が伝わっても、伝わらなくてもどっちでもいいよ。

コトバを話す上で「伝わること」なんてどうでもいいんだよ、というのを話します。

 

ここが、「英語に歩みよる第一歩」になるはずです。

 

コトバは重要じゃない

 

コトバを話す上で気をつけなければならないのが、

「コトバは重要だ!」

といって、

「”上手に”話すこと」ばかりに集中してしまって、「話せなくなっては意味がない」、ということです。

 

繰り返しになりますが、

「コミュニケーションは『伝わらないモノ』」です。

 

もともと、『伝わらない』のです。

 

ようするに、こういうことです。

「コトバが”上手”とか、”下手”とかいろいろいってるけど、

それって『自分が相手のコトバを聞いて”わかった気になれるか”』
っていう話をしているだけであって、
『コミュニケーションは伝わらないモノ』っていう前提は変わってないよね。

『コミュニケーション伝わらない』ってのは事実は変わらないんだから、
”上手”とか”下手”とかって、表面上の小手先の話は重要じゃないよね。

だって、結局『伝わらない』んだから。

 

じゃあ、

『伝わらないんだから話す意味ないじゃん』って思うかもなんだけど、そういうことじゃないんですね。

 

 

この『伝わらない』という前提のもと、

「(伝わらないんだけど)話すこと」は意味がある」

、ということです。

 

 

「いやいや、コトバがないと生活できないじゃん!」

というヒトがいうように、

もともと『伝わらない』前提のもと、『昨日みたテレビで…』とか『この前食べた〇〇の料理が…』とか話して、笑い合ったり、一緒に悲しんだりしてきた。

 

「伝わるから意味がある」、「伝わらないから意味がない」

という二択ではないのです。

 

ようするに、こういうことです。

コミュニケーションで重要なのは、
『伝わるか』『伝わらない』っていう結果じゃないよ。

「『伝わらない』”から”話す」んだよ。

楽しいから、悲しいから、怒ってるから『コミュニケーション』をとる。

『コミュニケーション』っていうのは、『伝えようとすること』であって、
「『伝えようとしていること』を話そうとすること」が大事なんだよ。

ということです。

 

 

自分の中に出てきた感情とか、思いに対して

「あー」、でも「おー」でもいいから言ってみればいいんです。

 

ワクワクする感情が出てきたときに、

「楽しい!」と言おうが、

「あfこあjgmっぁd!」と言おうが、

結局、伝わらない。

 

じゃあ、思っていることを「伝えようと」してみる。なんでもいいから。

だって、コミュニケーションは『伝わらないモノ』であり、

『伝わるか』『伝わらないか』は重要じゃないからです。

 

「伝わること」ではなく、「伝えようとすること」が重要なんです。

 

 

まとめ

 

今回は、英語嫌いになる理由と英語に歩みよる第一歩をシェアしました。

 

コトバは伝わらない、という前提のもと、

なにを伝えたいのか?を大事にしてもらえれば、気持ちが楽になるかと思います。

 

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