話が通じると思って話すから人生無理ゲーになる話

生きやすくなるかも
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今回は、人は人を理解できないよ、
話が通じると思っているから、人生が無理ゲーになるよ、という話です。

 

話は通じない

 

話が通じる、話が通じない、という表現がありますが、
人はそもそも話が通じることはありません。
つまり、相手のことは理解できない、ということです。

 

話が通じる、とは「自分が思っているイメージ」を相手に伝わることです。

 

頭のイメージが異なっている

たとえば、犬をペットとして飼っている人が、「わたしは犬が好きです。」といったとします。
このとき、「『話し手』の(頭の中にある)犬」と「『聞き手』の(頭の中にある)犬」は同じではありません。

 

というのも、「『話し手』の(頭の中にある)犬」は、「(話し手の経験に基づいた)犬」です。
「3年間一緒に時間を過ごして、帰ってきたらかけよってきて、お手、お座り、待て、ができる犬」です。

 

一方、「『聞き手』の(頭の中にある)犬」は、テレビでみた犬かもしれません。
チワワのような小さな犬かもしれませんし、ゴールデンレトリバーのような大きな犬かもしれません。
もしくは、昔噛んできた犬かもしれません。

 

このときに、「話は通じる」「相手は自分のことを理解できる」という前提のもとに会話をすると、無理ゲーになってしまいます。

 

先ほどの「(犬の好きな)話し手」が「(犬の苦手な)聞き手」に、
「犬の良さ」をどれだけ伝えても、聞き手は「あぁ、そうなんですね」くらいな感じになるわけです。

で、「話し手」は、「なんで犬の良さがわからないんだ!こんなにかわいいのに!」となってしまうわけですね。

 

話が通じると思ってしまう理由

 

いいことなのか、悪いことなのか、
人って同じ言語を話せたり、同じ国で育つと「相手が『自分の言ってること』を理解できる」と思ってしまうものです。

 

それは”同じ”概念を持っているからですね。

 

たとえば、日本で育った人に「お弁当」の話をしたら、ほとんどの人が「おにぎり」や「お米」を思い浮かべると思います。

 

しかし、アメリカで育った人に「お弁当」の話をしたら、「サンドウィッチ」を思い浮かべる可能性が高いです。

 

 

で、同じ国で育っている人の方が「”似たようなイメージ”」を想起しやすいゆえに、
「サンドウィッチ」を思い浮かべるアメリカで生まれ育った人より、「おにぎり」を思い浮かべる日本で生まれ育った人と話したときに、いわゆる”話が通じる”状態になるわけです。

 

ですが、先ほどの犬の例のように、「同じ言語を話す人」でも『本当は』同じイメージを持っているかわからないわけです。

 

相手の「イメージ」の確認する方法はない

 

もう少し掘り下げると、「わたしは犬が好きです。フワフワしてるから。」といったときに、
「話し手の”フワフワ”」を確認することはできません。

 

聞き手が「話し手のフワフワ」を理解するために、

「フワフワって綿アメみたいな感じ?」と聞いたとしたら、
この聞き手の「綿アメ」を確認する必要が出てきます。

 

 

で、相手が言っている「綿アメのフワフワ」を正しく理解するには、違うコトバで説明する必要が出てくるわけですね。

 

なぜなら、相手の「綿アメのフワフワ」は、相手が5年前の夏祭りで食べたかもしれません。

そして、その綿アメは、屋台のおじさんが気温24度、湿度54度のときにつくった40個目の綿アメだったとしたら、相手は、「『その』綿アメ」の説明を聞くことができますが、
実際に、「『その』綿アメ」食べたことも、触ったこともありません。

 

すなわち、相手が言っている「綿アメ」を知るために、違うものに例えると。
でも、違うものに例えたとしても「『その』綿アメ」と同じように、「自分の感覚に基づいた『何か』」でしか例える以外方法はありません。

 

したがって、「話し手」と「聞き手」は、永遠に「同じもの」を共有して話すことができなくなるわけです。

 

話は通じないけど、話すことは重要

 

「犬」「お弁当」の例からわかるように、「人は同じイメージを共有できない」。
つまり、「話は通じない」のが前提です。

 

ここを「話せばわかる」のような精神論で話してしまうと、
話し手が満足するためだけ、もしくは話し手がイライラするだけになってしまいます。

 

で、重要なのは、「『話は通じない』前提で話すこと」であって、「話すこと」は重要なのです。

 

というのも、「話は通じないなら、話すのをやめよう」となれば、
スマホやパソコンなどの「新しい技術」や、電気、水、ガスなどを使った「快適な生活」も誕生してないし、機能しなくなるからです。

 

話すのをやめたとしたら、スマホを使う必要も無くなるし、仕事も無くなります。
仕事がなくなれば、スーパーで野菜を買うこともできなくなります。

 

なぜなら、「(メールや電話などを含め)話すこと」によって、モノの流通が可能になっているし、より質のいい技術が生まれるからです。

 

相手は自分が持っていないものを持っている存在

 

相手というのは、「自分が経験をしていない何か」を持っている存在です。

同じ場所にいて、同じ時間を過ごしたとしても、生まれ育った環境が違うので、「違う結論」にたどりつきやすいです。

 

たとえば、「かっこいい」「かわいい」と言われて育った人は、「容姿を気にしながら生きている」かもしれません。

 

その人は「こうするとキレイに見える」「こういう服はこう見える」のような知識がたくさんあるかもしれません。

 

一方、スポーツを得意として育った人は、「こう動くと、人はこう反応する」のような「行動」に関してたくさん知識があるかもしれません。

 

なので、同じ場所にいたとしても、ある人は「見え方」に関して考えているかもしれないし、ある人は「人の行動」に関して考えているかもしれません。

つまり、人によって結論が変わる、ということです。

 

そして、相手が考えることと、自分が考えることには違いがあります。

その相手の考えは、「自分が気づけない何か」かもしれません。

 

つまり、わたしたちは「相手を理解することはできない。けど、話すことによって今まで気づかなかった新たな可能性を見つけることができる」というわけです。

 

まとめ

今回は、話は通じないのが前提だよ、という話をしました。

 

話は通じると思って話すと、疲れてしまったり、イライラしてしまいますが、

話は通じないという前提で話すと、イライラせずにすみます。

 

なぜなら、相手に通じなくても、「まぁ、理解できないよね」と割り切れるからです。

 

もし話が通じなくてイライラしている時は、「話は通じない」という前提に立ち返ってみてください。

 

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