今日は「やっておきたいことに目を向けると生きたいと思いやすくなる話」についてシェアしたいと思います。
生きたいという価値観の根元
最近は、人が「生きたい」と思う時の価値観に興味があるんですが、そこで一つわかったことをシェアしようと思います。
結論からいうと、人が「生きたい」と思う時は、「今しかできないやりたいことをやろうとしている時」「やっておきたいことをしようとする時」なんですね。
たとえば、「あのお店のスイーツを食べたい」「スカイダイビングをしたい」などのやっておきたいことをする時は、ワクワクしますよね。
また、「今しかできないやりたいこと」というのは、「歳を重ねたら体が悪くなるかもしれないから、動ける間にたくさんスポーツや旅行に行っておこう」とかがあります。
歳を重ねると悪いことばかりじゃなくて、年齢を重ねた時だからこそできることとかもあって、その時だからこそやれること、やっておきたいことをやる、という感じです。
ようするに、「生きたい」という価値観は「やっておきたいこと」という「自分を楽しませる活動」に目を向けている時に生まれるわけです。
死にたいという価値観が生まれやすい時
じゃあ、逆に、人が「死にたい」と感じる時はどういう時かというと、「これからどう生きればいいんだ?」と考えてる時が多いんですね。
「これからどう生きればいいんだ?」を言い換えると、「未来の不安や問題を先取りしている状態」と言えるかなと。
というのも、「これからどうやって生きればいいんだ?」と考えてる時は、とてつもない痛みを感じていたり、命に別状はないことがほとんどなんですね。
たとえば、もし大怪我をした瞬間であれば、痛みをなくそうと必死になってるはずですし、誰から攻撃されてる時なら、それを回避したり、反撃することに頭を使ってるはずですから。
すなわち、「これからどうやって生きようかな」と考えている『瞬間』は、落ち着いていて、冷静なことが多いわけです。
そして、実は何か問題が発生しているわけではないのですが、わからないはずの未来を推測して、「今後の自分の生き方」に目を向けて「未来の不安と問題の先取り」をして、現在感じなくていい苦しみを増やしてしまってるんですね。
その結果、苦しみを消し去る方法として「死にたい」という感情が生まれると。
効率の方向を間違えると死にたくなる
で、物事を効率的にするのが得意な人は、効率的にする方向を間違えると「死にたい」と考えやすい、というのがある気がします。
たとえば、効率的な人って、会議の中でも、そもそもこの会議の目的ってなんなのか?ってことに目を向けて、「それは今回のトピックとは関係ないね」「それは今決めれないことだから、あの人と話し合って決めてね」みたいに、余分な行動に気づきやすい人なんですね。
すなわち、効率的な人は、無駄な話し合いや待ち時間などの「苦痛を排除するのが得意」と言い換えれます。
そして、効率的にするのが得意なのは悪いことではないんですが、苦痛を排除する対象が自分になってしまったら「死にたい」と考えやすいんです。
たとえば、人生で嫌なことや悲しいことがあったとしましょうか。
すると、「わたしは今悲しいと感じている。今後の人生もきっと悲しいことを感じるに違いない。だったら、今死んで、今後悲しみを感じないようにしてしまった方が楽だ」のように考えるわけです。
つまり、効率的に苦痛をなくそうとして、今苦痛に感じている自分の人生を無駄なものと判断し、排除しようしてしまう場合があると。
苦しみを排除しようとして自分を排除してしまう
じゃあ、なんで「苦痛をなくそうとして、自分を排除しようとする」かというと、効率的な人は「全体を通してどうだったか」という「結果」を重視するからなんですね。
たとえば、旅行を計画して実行するときも、渋滞がなかったかや、無駄な時間を過ごさずに目的地に辿り着けたか、みたいに全体を通して無駄がなかったかを大切にします。
この考え方で「生きること」を考える時に、「どれだけ苦痛を感じることなく、幸せに感じる瞬間に辿り着けたか」を重視するわけです。
この時に、より効率的に幸せを追求する一方で、幸せな感情の逆である苦しみや悲しみを排除しようという価値観が生まれやすいんですね。
そして、今まで感じてきた苦しみや、今感じている苦しみをいかに小さくするか、に目を向けて、「苦しみを排除するために生きる」と考えてしまう時があります。
つまり、「今の時点で苦しみを感じていて、今後も苦しみを感じる可能性があるなら、今の時点で終わらせよう」「人生をトータルでみた時に、苦しみの量が大きければ辛いだけだ。じゃあ、苦しみが少ない間に死んでしまおう」というわけです。
行動の基準として、長期的に「役に立つ」とか「意味があるか」みたいな価値観を持ってる効率的な人が、「これからどう生きればいいんだ?」と考える時は、人生のトータルの苦痛の量を減らすために、選択肢として死が出てきやすいと。
楽しさを最大化するという価値観
じゃあ、どうすればいいかなんですが、はじめに説明したように「今しかできないやりたいことをやろうとする」「やっておきたいことをする」を考えてみると感じ方が変わるように思います。
以前に、『感情は考え方の副産物』という話をしましたが、感情をどうにかしようとするより、考え方を変えると感情が変わったり。
で、「生きたい」と感じる人は、「自分の楽しみを最大限にするための方法」に目を向けていて、「死にたい」と考える人は、「自分の苦しみを最小限にするための方法」に目を向けているといえます。
つまり、考える対象が「自分の楽しみ」なのか「自分の苦しみ」なのかが違うだけだったりして。
で、その違いが生まれるのは「今この瞬間にやりたいこと」「死ぬまでにやっておきたいこと」のような自分の好奇心に目を向けてるか、「どうやって生きればいいんだ」と今後の苦しさに目を向けているかの違いから生まれやすいように感じます。
なので、「これからどう生きればいいんだ?」と考えてしまう時ほど、「やっておきたいことは何か?」に目を向けれるといいかも。
まとめ
今回は「生きたい」と思う人の価値観の分析をシェアしました。
人ってどれだけ頑張っても、病気や怪我でどうにもならなくなったりすることはあるんですよね。
お金をたくさん蓄えて、「さぁ、使おう!」と思ったら死んでしまったり。
逆に、どれだけ「もうダメだ!」と思っても、なぜかタイミングよく助け船がきて、助かったり。
てなると、ある程度成り行きに任せて、その時に出会った無駄や役に立たないことを楽しもうとするのもありだったり。
で、どうしてももうダメだってなったら、「最後くらいは好きなことをやってから死のう」とするのもいいかもしれません。
そのくらいの感じで生きていると、「今の楽しみ」に目を向けれるようになったりして。
では、今日はここまでです〜。