就活で自殺が発生する理由は生き方が自由になったからという話

生きやすくなるかも
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今回は「就活で自殺が発生する理由は生き方が自由になったから」という話をシェアしようと思います。


昔は社会的な生き方の縛りがあった

昔って、生まれた時点で人生がほとんど決まってた時代もあったんですね

たとえば、封建制度があった時代って、自分の身分とか人生って、生まれた時から決まってたわけですよ。もっというと、親がどんな身分や職業かによって、生まれる前から自分の人生が確定してたわけです。

だから、生まれた時から、「自分はこの職業で生きていくんだ」とか「自分はこの土地で生きていくんだ」ってことが前提になってて、疑わないと。


だって、「そういうモノ」だと思ってるわけですからね。
「なんでりんごが赤色なんだ?」思わないじゃないですか。

「りんごは赤いモノだ。」としか思わないわけで。

つまり、「なんで貴族ばかり特別なんだ」っていう不満は抱いても、「なんのために生きてるんだ?」みたいな生きる意味については悩みづらかったりする、と。

もちろん「全く悩まない」とは言わないですが、悩む順番としては「目の前の不満」が先であって、「なんであいつらだけが!」は疑問に浮かびやすいわけです。



生き方が自由になって生きる意味を考えるようになった

で、今の社会って身分が関係ない場所がほとんどですよね。

それはいろんな国の人が交流して、社会にある「もともとの身分」に関係なく、力や業績があれば、成功することができるようになったからで。

すなわち、資本主義のおかげで「身分」という「社会的な縛り」がなくなって、「個人の生き方の自由」を手に入れることができたわけです。


でも、「個人の生き方の自由」は、封建時代にあった悩みとは別の悩みが出てくると。

それが「なんのために生きてるのか?」っていう「生きてる意味」に対する疑問だったりするわけです。

つまり、「生き方の自由」は「生きる意味」という不安を生み出したと。



言われたことをするのは安心感がある

ここまで、「身分」という社会的な縛りがなくなって、「個人の生き方の自由」が手に入った。
一方で、「個人の生き方の自由」は「なんのために生きてるのか?」という不安を生み出した、と説明しました。


で、「生きてる意味」の不安をかき消すために「言われたことをやる」っていう選択があるんですね。

すなわち、言われたことをしてる限りは、「これをしていればいい」という「安心感」があるわけです。

もし「自由にさらされたまま」「自由にしていいよ」となったら「このままでいいのかな」とか「こんなにたくさん人がいるのに自分なんて生きてても意味がない」みたいなことを考えてしまうと。

この「生き方が自由になること」は「自分のやりたいことをやるのに抵抗感がない人」にとってはいいことなんです。


しかし、多くの人にとっては学校などを通して「社会から求められてることやる方法」をたくさん学んでるわけです。

「宿題をしなさい。テストでいい点を取りなさい。そしたらいい成績をあげる」みたいな感じで。

つまり、「社会で求められてることをこなすこと」、「自分がやりたいことを我慢すること」はたくさんやってきてるけど、「自分がやりたいことを実際にやること」はあまりやってないわけです。



社会で求められてることが自分に合わないと辛い

で、「人間が生きる」時って「社会で求められてること」と「自分がやりたいこと」が常にセットになるわけです。

そして、この2つがうまくまじわらないと「死ぬ」選択をしてしまって。


たとえば、就活で自殺が起きたりするじゃないですか。

あれは、社会からは「高校や大学を卒業したら就職すること」を求められているけど、自分は「働かないで自由に生きたい」って気持ちの板挟みになってたりして。

だけど、「自由」を選択したら、それはそれで不安が押し寄せてしまうわけです。
「これで本当にいいのか?」みたいに。

つまり、生きる選択は、「社会から求められてることをこなす苦痛」と「自分が思うように自由に生きる不安」の2つになっているわけです。

その結果、「自分の意思を殺して、社会で生きてく」か「自由に生きて不安を抱え続ける」という「生き地獄のような苦痛」もしくは「人生をやめる」の2択になってたりするんですね。

本当は自殺までいかなくてもいいんだけど、その状況にいたら「生きる苦痛」か「死ぬか」になってしまって。


この「社会で求められてることをこなすことで『苦しみながら生きる』」か「社会から求められてることをせずに死ぬか」の「2択しかない」と思い込んじゃうと人生が辛くなりやすいんですね。



自分の心地よさを模索する

じゃあどうすればいいかというと、「社会で求められてること」を一旦無視して「自分に合った生き方を模索する」といいんですね。

すなわち、「自分が心地よさを基準に動く」わけです。


たとえば、働くのが嫌っていうのもいろんなタイプがあって。

週5で8時間働く「時間の縛り」が嫌で、別に週3ならいいとか。それならバイトはどう?みたいな。
人と関わる「仕事の環境」が嫌で、1人で黙々とする仕事ならいいとか。

経済的状況にはよるけど、1年間はぐーたらするとか、ワーホリにいくとかもできたりして。


で、今すぐにわからなくてもいいんですよね。
社会に求められてることの「中で」自分に合った生き方を探るのではなく、自分が心地いいかが大切なわけです。

とにかく「社会で求められてることを無視する」そして、「自分が心地いいと思える環境を選んでく」ってのを繰り返すのが重要だったりすると。



まとめ

今回は、「社会的な自由」がどのように変わってきて、「個人の生き方」にどんな影響があったかを説明しました。


自分に合った環境が見つかることを願ってます〜。

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