留学でコトバを学ぶのは副産物であって体験の方が重要な話

さからわない英語学習
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今回は「留学に行くべきか?」を哲学的な観点で答えてみようと思います。

 

英語は日本でも学べる

 

まず前提としてあるのが、「留学しなくても英語は学べる」ということです。

 

じゃあ、

「わざわざ高いお金を払って、時間をかけて留学する必要なくね?」

という風になるわけです。

 

参考書とか単語帳とかオンライン英会話をしていれば、
ある程度会話できるようになるなら、留学しなくていいじゃん

、と。

 

 

しかし、「英語が話せるようになること」はあくまで”副産物”だよ、もっと違うところに留学のよさがあるよ、というのが今回の話です。

 

「話せるようになる」は”副産物”

 

場所によりますが、年間100万とか払ってわざわざ留学する意味ってなんなのか?ということなんですが、
留学って「コトバ」を学ぶのはそんなに重要じゃないんですよね。

 

どういうことかというと、

・「アメリカに行って英語を話せるようになる!」
・「韓国に行って韓国語ぺらぺらに!」

とか、そういう「コトバを話せるようになる」っていうのは、あくまで”副産物”に近いんです。

 

感覚的には、

「周りが全員ギター弾ける環境にいたら、ちょこちょこギター弾かせてもらって、コードとかある程度わかるようになってた」みたいな感じで、
「周りが全員英語話せる環境にいたら、みんなが話している英語をちょこちょこ教わって、ぼちぼち話せるようになってた」、と。

 

 

じゃあ、コトバはあくまで副産物なんだとしたら、なにが重要なのか?という話になるんですが、

それは「体験」なんですね。

 

 

重要なのは「言葉」じゃなくて「体験」

 

で、この「体験」の部分ってどうしても伝わらないな、と気づかせてくれたのが、

飲茶さんの著書『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』です。

 

実際に想像してみてほしい。「白と黒の物だけしかない部屋」で生まれたときからずっと育ち、『赤い』という体験を一度も味わったことがない人がいたとする。どうやって彼に、意識の上に浮かび上がる、『赤』というあのリアルで独特な体験を説明すればいいだろうか?「夕日のような」とか「目の前で火がぶわぁっと広がるような」とか、どんな言葉や比喩を駆使したところで無駄である。伝わるのはあくまでも「言葉」であり、「体験そのもの」が伝わることはないからだ。

ー『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち

 

 

「白と黒しか見たことない人」に「赤色」を説明するのは、どうやったって無理だ、と。

 

  • トマト
  • ポスト
  • りんご

などの赤いものを挙げていったとしても、
「白と黒しか見たことない人」は「赤色」を”体験”することはできません。

 

 

伝わってるのは、「コトバ」であって、「知識」であって、「体験」ではないんですね。

 

 

つまり、わざわざお金を払って、時間をかけて留学する理由っていうのは、「体験」が重要な要素となっているわけです。

 

 

留学で得られる”体験”とは?

 

じゃあ、留学で得られる体験ってなんなのか?

っていうと、1つあげるとすれば、「当たり前なことに(もう一度客観的に)気づける」ことなんですね。

 

例えば、アメリカに行ったとしたら

・「あぁ、マジで部屋で靴脱がないんだ」
・「車ないとどこも行けないな」
・「思ったことズバズバいうな」
・「あ、でもみんながグイグイくるってわけでもないんや」
・「こいつ全然話きかんやん」

みたいなことを思うわけです。

 

 

でも、留学のいいところは「文化」を理由に「客観的に見れる」ことなんです。

 

日本にいて「思ったことズバズバいう人」がいたとしたら、

「もうちょっとオブラートに包んで話せよ」

とか思って、その人を心の中で否定しりするわけです。

 

 

1つの国にいると、”知らない間に”「この国ではこうしろ!」「郷に入れば郷に従え!」と考えていて、そう考えることに”疑問”を抱かない、と。

 

場所が変わると”常識”が”常識”じゃなくなる

 

一方で、留学すると、

  • 「黙っているのは良くないこと。意見を言うべき」
  • 「麺はすすると無礼に思われることがある」
  • 「信号が「青」じゃなくて、green(緑)という」

とか、今までの”当たり前”、すなわち”常識”が、場所を変えると”常識じゃなくなる”んです。

 

 

そして、その”新たな常識”に対して、「こういう文化だから」という理由で、受け入れてくしかないことがあるわけです。

 

 

”見えなかったところ”が見えてくる

そして、「今までの自分の生活」、もっといえば「日本の習慣」を違う視点でみれるわけです。

 

  • 「日本の人って思ってること言わないんだろ?」
  • 「全員が思ってることを言わないわけでもないなぁ」
  • 「日本の接客ってめちゃくちゃ丁寧だなぁ。お客さんとしては嬉しいけど、店員さんとしては大変かも。」

と、今まで「こういうもの」だと思ってたことに対して、
「この国だとこう」という『新しい基準』を持つことができ、

・「なんでこうなんだ?」
・「違いはなんだ?」

と疑問を持つことができる、と。

 

 

「月の光部分」だけじゃなくて、「あれ?そういえば月って裏側もあるよね?どんな風になってるんだろう?え!こんな風だったんだ!」と気づけるような感じです。

 

 

当たり前を違う視点でみれると、自分も周りも幸せになる

 

で、今あげた「当たり前を違う視点で見れるようになること」ができると、

「日本ってお客さんいないときにも立ってなきゃいけないのって変じゃない?
だって、もしお客さんいないときに座って休憩できたら、お客さん来た時に、
元気いっぱいで接客できるじゃん?」

みたいな案が出るとします。

 

 

そうすると、働く側も休めてwin、お客さんもいい接客を受けれてwinで、

win winの関係を作れたりするわけです。

 

 

こういう「体験から(”当たり前”に対して)考えれる」のは、自分だけでなく、みんなの幸せに繋がったりする、と。

こう考えると、わざわざ高いお金を出して、時間をかけて行く意味が見えてくるわけです。

 

別に留学じゃなくてもいい

 

で、今話したような、

当たり前を違う視点で見れること」は、留学でえられる「体験の1つ」にすぎず、

・「海外は物価たかすぎ!」
・「思ったより安全」

と、他にも「体験から得られること」はたくさんあります。

 

 

(体験でしか得られないものを”説明する”矛盾はさておき…)

 

 

そして、この「当たり前を違う視点で見れるようになる」に限らず、
「体験で気づけること」は、別に留学じゃなくていいわけです。

 

それは、

  • 地方で農業をすること
  • バックパックすること
  • 航海すること

かもしれません。

 

ただ、先ほど説明した「白と黒だけをみてきた人」に「赤色」を説明することのように、「体験」は、「コトバ」で伝えた「知識」ではどうにもなりません。

 

 

なので、「わざわざお金を払って、時間をかけて留学に行く」のは、「体験」しにいっているんですね。

 

 

もし、「留学に行かなければよかった」と「体験」したとしても、皮肉ですが『その体験』は留学に行かなければわからなかったことで、”あなただけの体験”になります。

 

 

まとめ

 

今回は、「留学で学ぶ『コトバ』は副産物であって、『体験』が重要なんだよ」という話でした。

 

留学に興味があれば、行くのはオススメです。

 

 

 

オススメの本

飲茶さんの著書:『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち

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